「一汁一菜でよいという提案」を読んで、料理得意じゃないけど料理がしたくなった。

土井善晴先生の、「一汁一菜でよいという提案」という本を読みました。

 

手に取ったのは、土井先生の人柄が好き、味噌汁が好きという理由からでした。

 

 

この本を読んだら、料理はおいしいものを目指さなくてもいいと分かり、変な気負いがなくなりました。

 

また、日本の四季、食にまつわる出来事について、良さを再認識。

 

その結果、料理が得意ではないけど、なんだか無性に料理したくなってきました!





「おいしい」を目指さなくてもいいんだと思った理由。

メディアでは「おいしい」「オイシイ!!」と盛んに言われていますが、繰り返し聞かされている「おいしいもの」は実は食べなくてもよいものが多いことがわかります。メディアから発信される刺激的で新しいものには、よくわからないものもあります。

一汁一菜でよいという提案 -土井善晴-

一汁一菜のような身体が求めるお料理は、作り手の都合でおいしくならないことがあります。おいしい・おいしくないも、その時次第でよいのです。そう思って下さい。必要以上に味を気にして、喜んだり、悲しんだりしなくてもいい。どうでもよいというのではありませんが、どちらもありますから自分自身でその変化を感じていればよいのです。

一汁一菜でよいという提案 -土井善晴-
おいしくならないことがある、ってはっきり言ってくれています笑
自分は、無意識に、おいしいごはんを目指していたことに気付きました。
例えば、こんな経験があります。
野菜をたくさん使って作ったのに、味がイマイチ… 残念、なんだか野菜がもったいなかったな、なんて思ったこと。
でも、それでもいいのか。
おいしいを目指さなくてもいいんだ。
そういう時は「今日はちょっとイマイチだったな、野菜とれたからいいか」と思うぐらいで、いいのかもしれないですね。

「脳が喜ぶおいしさと、体全体が喜ぶおいしさは別だと思う」という言葉

夫の話です。

 

夫は、一人で外食する時、濃厚豚骨ラーメンや、がっつりとした唐揚げを食べてきています。

 

そんな様子を見ていたから、「家でもそういうの作らないとかな…」なんて思うようになってきて。

 

「ガツンとしたおいしいものを作らなきゃ」

 

夫と暮らすようになって、そんなふうに思っていました。

 

だけど、身体が喜ぶおいしさと、脳が喜ぶおいしさは違うという言葉をみて、それは違ったなと思いました。

 

お肉の脂身やマグロのトロは、一口食べるなり反射的においしい!と感じますが、それは舌先と直結した「脳」が」喜んでいるのだと思います。そのように脳が喜ぶおいしさと、身体全体が喜ぶおいしさは別だと思うのです。

一汁一菜でよいという提案 -土井善晴-

 

身体は鈍感、ということでもないですが、すぐにはわからず、食べ終わってから感じる心地よさのような感覚、身体がきれいになったような気がする‥‥‥というあれです。一つ一つの細胞が喜んでいるのです。それを、身体の心地よさで伝えてくれているのです。

一汁一菜でよいという提案 -土井善晴-

夫が好きなもの、私が作ろうとしていたものは、脳が喜ぶおいしさだったのだと思います。

 

 

だけど、私が毎日やりたいのは、それとは違う。

 

普通のごはん、味噌汁、卵焼き、おひたし、ぬか漬け。

 

ガツンとしたおいしさではないけど、食べた後、ほっとするあの感じ。そういうのがやりたい。

 

ああいう感じ、大事にしよう、って思いました。

 

毎日の家庭料理には、脳が喜ぶおいしさはいつもは必要ない。

 

これからはそんな信念をもって、料理したいなと思います。

ある日の私のごはん。

パスタやパンでもいい。

一汁一菜は、元々は、こんな意味のようです。

「一汁一菜」とは、ご飯を中心として汁(味噌汁)と菜(おかず)それぞれ一品を合わせた食事の型です。
ただし、おかずは昔の庶民の暮らしではつかないことも多く、実際には「味噌汁」「ごはん」「漬物」(=汁飯香)だけで一汁一菜の型を担っていました。

一汁一菜でよいという提案 -土井善晴-
では、洋食は食べられないの?というと、そんなことはないようです。
ごはんがパンに変わってもよし、パスタと味噌汁でもよし。

要するに、「一汁一菜というスタイル(考え方)」が基本であればよいのです。持続可能な一汁一菜のかたちをいつも頭において、何をどう食べるか決めるのです。

一汁一菜でよいという提案 -土井善晴-
あくまで、スタイル、型なんですね。
この辺も、堅苦しくなくていいなと思いました。
料理、食事を生活のリズムに組み込めればいいのかなと。
自分の好きなようにアレンジして、続けやすい型を探っていきたいです。
パンもパスタも大好きだから!

家庭の食事の記憶はありますか?

本の中には、日本の食文化のことや、自然、食べ方、歴史などについても触れられています。

 

中でも、家庭の中での食事の経験、大きな影響があるみたいです。

 

土井先生の幼少期の話が興味深かったです。

 

魚をきれいに食べるねと母に褒められて嬉しかったこととか、自分のおちゃわんを選ばせてもらったこととか。

 

読んでいて私も自分の過去に思いを巡らせました。

 

小さい頃、自転車に乗った豆腐屋さんが来るのが楽しみだったこととか、花壇で育てた細いにんじんを生で食べたらすごくおいしかったこととか。

 

残念な思い出もあります。

 

家で食べた栗ご飯、栗があまり甘くなかったこととか、お気に入りのスプーンがおそらく間違って捨てられてしまったこと、魚を丸焦げにしてしまったこと。

 

こうして思い出してみると、残念な思い出も含めて、食事にまつわる思い出、生きることそのものだなぁと思います。

 

食に向き合うことは、生きる力をくれていたんだな。

 

そんな気付きをくれたこの本、とても感謝しています。

なんでもいい。自分のために料理する。

この本を読んで、料理がしたくなってきました。

 

料理することは、自分を大切にすること、生きることそのものなんだな、と思います。

 

それでは最後までお読みいただきありがとうございました。

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